はじめに

オプセルホームページではこれまで
フィールドでの危険に素早く対応するために
正常性バイアスを超える必要性にふれてきました。

いつのまにかそのリンクは消えました。
「大きなお世話かもしれない」という一種の負のバイアスに屈していたからにほかなりません。

申し訳ありません。

この未曾有の日本のピンチに際し、いま改めてその必要性をお伝えしたいです。

皆様と共有すべきことがあれば
それは恥ずかしがらずに
伝えてゆこうとおもいました。

オプセル社私見1から今回6に達しました。

長くて、面倒な内容で大変恐縮します。

しかし次代の子供たちのために、
いま大人が何をすべきかを

何を知ってゆくべきかを

皆様と共有させて頂けたら何よりです。

山本






正常性バイアスは気づきかけた人を動かしている(縛っている)と思います。

提唱者、山村武彦氏によると多数派同調バイアスと連動して危機を感じ始めている人を呪縛します。

これはボーグ山本も同感で、さらに政治統制、テレビ告知による情報伝達の過程においても
それは存在すると感じます。

危機を過大に煽ることは慎むべきと思いますが
テレビ情報、
活字
といった権威や上位ヒエラルキーから伝えられるメッセージに対しては
疑問を提起しにくい社会心理学的傾向が人々の中にあると感じます。

僕らはそのハンディーを乗り越え
言うべきことは言う習慣を身に付けるべきだと考え、
ルアーのホームページでありながら敢えてこの難題に触れるべきと思いました。


今回は原発推進のコンセプトと、地方の公共事業が
リンクしているという実例について書かせて頂きました。

お時間ある方はぜひご一読ください。







今は復興に力を尽くすべき時と理解しています。
しかし同時に心に刻んでおくべきことがあるとも思います。



オプセル社 私見 6


原子力は人が触れることが出来ないものです

火が熱いのとは違います

物や人体を貫通する小さな粒子が無数に放射されていて

その粒子に当たると
細胞の中にある遺伝子が壊されるから

だから触れられないんですね


特に情報を曲げたり、無理強いしたりする人たちは決してそれを扱うべきではないのですね。

不幸にも先日、原発事故は起こりました。


面子を越え、国民の安全を絶対優先した瞬時決断。

国家レベルでの率直な説明と即時対応。

想像力に基づく危険予測。

過去の実例を曲げることのない想定。

などなど。

みなそれらは実行されませんでした。

事故が起こるべくして起こったように
起こったときも良い対応はできませんでした。



というのも、
この国ではまず先に計画が描かれ、
そこから環境の捉え方のほうを都合に合わせようとするからなんですね。
順番が逆なのですからたまりません。



自分たちの計画のためには都合の良い情報だけを取り入れ
不利な情報には気づかぬふりさえしますね。
とぼけます。

他の例で恐縮ですが
捜査方針が決まると判決が事実上決してしまう裁判と似たような仕組みなんですね。
だから
起訴されると99%以上が有罪になってしまう。
有り得ない司法体系なんですよね。


話を戻しますが
だから「津波はここまでは来ない。」と
原子力は安全です。と断定し、
言い切り
根拠なく人々に安全を信じさせ
勝手に原発推進を決めて、
そしてなんと本当に造ってしまったんです。

いくつも。

そんな甘甘の基準と隠蔽体質そのままに・・・。

しかし
役人さんの悪しき習慣と片付けるには
あまりに恐ろしいことなのですよね。

だって
扱っているものが
原子力だからです。


その曖昧なのに断定された方針の下に
たくさんの不完全な原発が作られてしまっているからです。

これは大変なことですよね。

現にそのうちの4基が危険な本態を現しました。


原発は日本のいたるところにある
いや日本そのものが
つまり僕たちの平和な生活は
実は、そういう非常危険地帯の真っ只中にあったということです。

僕らはその危険な核施設のすぐそばで生活している。

至近距離です。
いつの間にか・・です。

なんですかこれは。

全国各地、核施設のない場所はないでしょう。
西伊豆でいえば
駿河湾向かい岸に浜岡原発があります。


みな金太郎飴のように個性は殺され
均一化された政策の下で進められてきたのですから。

僕らはその流れに気づくのが遅すぎました。
もう原発がクラッシュしたからです。
もちろん最小の被害に留まることを願っています。

これまでは皮一枚で何とか寸止めできましたが・・
その経験に僕らは学ぶことができなかったのですね。
ぼーっとしていました。
僕らにもそういう失敗はありました。


ですが原発はひとつではありません。
ぼーっと失敗に打ちひしがれてはいられません。

浜岡原発もまた非常に危険です。
立地も、老朽化レベルも、プルサーマルであることも。
配管も、発電機も。
カウントダウン上にある東海地震の巣の上にありますから。
超ヤバイです。
脅かしているのではありません。

ただ本当にヤバイから言わせてもらうのです。
ボーグ山本が釣りででたらめを言ってきた奴だったら信じないでください。

でも山本は本当のことを伝えたいとそう思ってやってきました。
ここでも本当の気持ちで書いています。


こんなことを書くと

眉をひそめます。

そういう風潮が
世には浸透しています。

長い歴史の中で
皆の潜在意識の中に
お上には文句を言うなと植え込まれてきたからです。
疑問を言わず
従順でいてもらう方が
失策をとがめられず
画策もやりやすくなり
市民を楽にコントロールできるからですね。


だから敢えてボーグ山本は管轄外のことも言わせてもらいます。

なぜかといいますとこれは国民の権利だからです。
オプセルのメンバーだからではないのです。
隣の家の赤ちゃんも、話せるのならそう言うべきです。
彼ら幼い子らが言えないなら
僕ら大人が言うべきでしょう。

このことは国民の誰が言ってもいいことなのに
なかなか表立っては言えない風が満ちているのです。


少しでも表に顔を出している者は
それを国民の権利として
はっきり言って行くべきと思います。

それを
うまく平和ぶったコメントでまとめて良い子になり
微妙に誤魔化してきたから
こうなったとも言えるのです。

お笑いもいいでしょう。
僕も好きです。
みんなで頑張ろうも同感です!
微力ながら
全然足りてはいませんし
助けになったか?
それも十分わかりませんが気になっています。

タレントが政治の矛盾に触れてもいいのです。
テレビの人気者は国民あってのものだからです。
キムタクが、「これは人災の面があるわけで・・・」
なんて口ずさんだら、それはナイスなわけで。

それを聞いたスマップメンバーが出演禁止になればそれが力にもなるでしょう。

古館伊知郎が本音を言ってくれたら、何かが変わって行けるかもしれません。
国民が辛くなっている原因がそれなら
それは本来、人前に立てる人たちが言うべきでしょう。

しかし何か、枷がかかっているように見えますね。
確信犯でやっているとは思いたくありませんが
しかし加担してしまっている場面は多々あります。
公共事業の一環として芸能活動があったとしたら・・・それは考えたくありません。

最高到達点38mの津波があったことは
少なくとも公の機関が、
役所が、
官僚さんが
広く伝えてゆく義務があったはずです。
(4月4日のフジテレビによると今回の津波の最高到達点は38mと伝えられました、同等ですね。最高の想定例です)

想定外の大合唱は始めから嘘なのですね。

始めに計画ありきですから当然その広報は抑えられてきました。
懲りない4月2日のNHKニュースでも東北大、日野亮太准教授が
「明治の津波より今回のは凄い」と伏目がちにアピールしていました。

そしてもう一例あります。
産業技術総研 海溝型地震履歴研究チーム長の宍倉正展博士によりますと
平安期の西暦869年同地域に起こった「貞観地震・じょうがん地震」でもそのクラスの大津波が記録されています。
当時の地層観測でも内陸へ3〜4キロも海砂が運ばれていたことが分かりました。
その注意喚起の会合を準備していた最中の出来事だったようです。
(そういう緊急情報を政府は軽くはじいてしまうのですね)

仮にマグニチュードが小さくても、
海底隆起の様子が異なっていたとしても
(測定されていないのですから正しい比較などできないはずですが)
到達点は明治の方が高かった。
今回より大きな津波がつい100年前に実測されていた。
少なくとも無視などありえない実例だからです。
「日野さん、それは違うよ」と、
そう撤回を促し、発言する人がなぜ現れないのでしょう。

テレビは、表に出る人をフィルターできるからです。
僕らはその先を見れるように想像を広げるしかありません。


批判は美しい姿にはみえませんけど。
励ましを言ったほうが、共感は得やすいでしょうけど。

人気→テレビ→放送権→電波管理→経済産業省、電力広告
そんな構図の先で
人を笑わせ、あるいは感動させても
それは時として、根っこが違うところにつながっている場合があります。
お笑いに悪意はなかったとしても
歌が素晴らしかったとしても
それを利用される形には?がつくのです。

でも正直、そのポジションに行ったら
何も言えなくなるでしょう
沢山のものを抱えてしまっていますから・・。
それはわかりますよ。


だから
自営で、
そして比較的迷惑かけるひとが少ない(?)山本が
一人の国民として
書かせてもらっています。
ボーグルアーが無くなると悲しんでくれるボーグマンが少しですが
いると思っていますが・・・。

ヒンシュクは甘んじて受けます。

子供たちはまだ理解できていないのです。

分かっているのに放置なんて
できません。
子供はやがて大人になり
気づくでしょう。
「パパ、そうだったの?・・・」と言わせたくないです。




また話がそれましたm(_ _)m(-_-;)

長くなってすみません。


核事故は絶対起きては欲しくなかったですが起きました。
彼ら原発推進者たちはその自分中心の仕組みを炉の中にまで求めてしまいました。
それが彼らの大失敗でありアキレス腱になりました。
核燃料を封じた容器の中は
あそこだけは
組織の都合や策謀を優先できない場所だからですね。

というのもそこは神の領域だからです。
そこは
権威に満ちた偉い人の意見ではなく、
リアルに物理学が支配しています。

だれがなんと言おうと、そんなのいやだと叫んでみても
容赦のない核反応が原因を結果し、
因果を応報し
矛盾があれば、
それを赤裸々に、
そして残酷に
被害を露呈させて行くからです。
回復不能の遺伝子損傷を子供に伝えてしまうのです。


恒星の内部で起こるような事象を地上に再現し
そこからエネルギーを取り出そうという目論見

器がない。

容器を作ろうにも地上の物質は弱すぎるのです。

鋼鉄は溶けます、

膨大な圧力で爆発してしまいます。

あれは

いくら上手に造ったとしても

地球上に存在する物質や

今の人間が思いつくやり方では

閉じ込めておけないのです。

制御の決め手が容器なのに
核反応に耐えられる十分な高温度耐性、高圧力耐性、耐放射線性を併せ持つ物質がないのです。

魔王を封じ込めておける檻が存在しないのです。


人々の心も同じです。
いつまでも閉じ込めておくことはできないのです。
鋼鉄の容器のような情報の器に閉じ込めたつもりでも
やがて、そこもメルトします。
新しいバランスに向かって
殻を割り、広がってゆくでしょう。


原発は、生き物のいない星で進めるならともかく、
この地上で行われてしまいました。
市民生活との安全距離を保てないのを承知で
あろうことかそれは進められてきました。



まずひとつ。
人はミスを犯します。クラッチフッキングが時にバレることがあるように、僕らがやる事に完全はありません。
そしてふたつ。
核を閉じ込めるための容器は地上には存在しません。
(プラズマとして磁界閉じ込めをした融合炉でも電力供給が切れたらアウトです。)

原発がなぜ駄目なのかといえばすばり、
その二つをどうしても実現できないから危険なのです。
核兵器もそうですが地球上に存在できないものを造ってはならないのです。
それに手を掛けたために人類は滅亡の可能性をしょってしまいました。

根拠なく安心させようとするテレビ・プロパガンダが放射能汚染を防げるはずもありません。
その説得も信頼性がないことが伝わり始め
裏が透けてくるようになっています。


官僚たちは個人名を殆ど知られることもなく役所という看板の陰に隠れ、これまではうまく誤魔化してきました。

まじめにやっての失敗は仕方がないとしても
水俣病はいうに及ばず数え切れないほどの汚職、汚職幇助
不当裁判、
エイズ汚染した血液製剤放置による多数の国民殺傷
さらに年金泥棒、
常套的な情報操作、隠蔽をおこなってきました。
もちろん功績もあります。
大きな経済成功をしたことは事実として認められます。
それによって良い思いをしたひとも、現在もその中にあるひともいるでしょう。
しかしそれは必ずしも国民のためのものではなかったように思います。
今回の事故がそれを示しています。
曖昧なままうやむやにされてきたこれまでと違うのです。
この震災と核事故は今までと違うのです。


原子力という魔王がその本性を現したとき彼らはその前にひれ伏すしかなくなりました。
手がつけられなくなったのです。
制御不能・・・
今回は本気で思い知らされている最中でしょう。

しかし巻き込まれた国民はなす術がありません。
今はありません。風評被害は、野菜を買えない購買者に根拠なく安全だと訴えるものではなく政府に向かうべきクレームです。

核という魔王は女神ではないのですね。
彼が笑っている間は味方につけることもできますし役に立つこともあるでしょう。
しかし常に味方でいるとは限らないのです。

一瞬でも気分を損ない、魔王が目覚め、敵対した瞬間に人間たちは遺伝子を変異させられ
姿を少しづつ壊されてゆくのです。
子供たちの設計図に、手を掛けられてしまうのです。
確率という闇にまぎれた魔王によって子らは少しづつ葬られてゆくのです。
次代を担う子供たちから
順番に・・。

厄介なことに因果関係が見えにくいのです。
魔王の仕業は統計にしか現れないのです。
統計は上がにぎっているのです。
まるで因果関係を証明できるものなら裁判して来い
と確信しているかのようで、卑怯です。


その非常に大きすぎるリスクを取り除くことができない原発。
死ぬよりは原始生活のほうがいいと、死のふちに立てば思うでしょう。
そこまで行かずとも
代わりのエネルギー候補がいくつも存在する今、
そして今後も、
もはや原子力発電は推進を検討したり、取引きをすべき対象ではないのです。

それをなおも進めようとする官僚や役人は、今どれだけの迷惑と未来への遺伝子災害を撒き散らしたか!
マジに受け止めるべき。


冷却不能になったあの瞬間に
名前は特定できなくても、それにより死ぬ人が確定したのです。
これから多くの人が苦しみ、亡くなるのです。
それをマジで受け止めなければならないです。
原発推進者は。

因果関係が誤魔化しやすいだけです。
%という数字で表される健康被害、癌罹患率。死亡率。
恐ろしい数字なのです。

ピンとこなかっとしても
それが核の魔王による被害なのです。

推進する、そしてこれまで推進してきた官僚の大きな過失致死です。
その計画にもしや特定の組織への利益誘導があったとすればそれは普通に犯罪に変わるのです。

感情を殺す訓練をした彼らはみな同じように無表情で話をします。
なんか仮面被ってるみたいで怖いですね。







話は変わりますが


オプセル社工房のある松崎町
そこの港も立ち入り禁止になり釣りができなくなりそうです。

周辺のホテルは軒並み解雇者続出。
回復が困難になりそうな様相を呈し始めました。
これまでの自民党政治のつけが
一気に噴出してきました。

地震の直接の被害を受けなかった健在地にも
その被害が現れてきたといえます。




2011年4月3日、立ち入りが禁止された松崎新港、堤防
いまそんな交付金が出るはずもないですが写真左手の島の周囲に遊歩道を敷く事業が交付金待ちとのことで、そのことと関係があるのでしょうか?
町民側の総意がリードする仕組みを役場も、下田土木事務所も望んでいないようです。



観光産業が衰えたら公共事業すら進まなくなるはずなのに
降ってくる雨水はここ、観光地から蒸発した水分のはずなのに
その観光の目玉になりえる港に蓋をして
ビニールで水を塞ぎ、
ルートを絶ち切ろうとしています。

松崎町役場と下田土木事務所は何をしようとしているんでしょう?


そもそも50億円もかけて造った港。
予定していたフェリーが来ないといいます。
普通に事業失敗ですよ。

落水者の責任についてだけは敏感な土木事務所も事業計画への経過責任には興味がないようです。
そんな大事なことも吟味も反省も謝罪もしないまま
生命線である観光を押さえ込み、
管理権だけを突出して主張しています。


2011年4月1日、松崎新港の開放について役場で開かれた集会に行ってきました。
それもたまたま通りかかった10数名だけの参加者の一人に偶然誘われただけです。

本来なら町民の多くが参加すべきテーマです。

土木事務所の担当課長さんは釣りが趣味ですとか
テレビの役人さんよりはかなり身近風な印象で話を進めますが
その本音は、町民の気持ちとは全く乖離していたと後に自民系議員から諭されました。
一年は無理そうだなと。
もう決まったかのような口ぶりです。
(事業に付随した仕事関係者には異なる意見があるでしょう)


「人が落ちたら責任が生じる」といって管理権を主張します。
なぜか責任を負いたいようです?
松崎町には責任を移譲できないといいます?
松崎に任せて
「ここで落ちても下田土木事務所は責任をとりません」と
看板を立てればいいだけの話ですよね。

そうすれば松崎町民の有志がNPOとして町の腕章をつけ
危ない人や行為に注意を喚起し
最低限の安全を保とうとしてゆけるでしょう。

そもそも全く安全な外出などないのですから。
家の中でさえ事故は起こります。
皆で注意しあって
きれいな夕日で憩いを楽しみ
釣りをして
食卓をにぎわせたり
疲れを癒したりすればいいのです。

稀有な事故例を印籠のように掲げて
曖昧な責任論で遂行したいものが何なのか?
それを透明化すべきでしょう。


皆で日の出や夕日を楽しみましょう。

釣りを楽しみましょう。
ご老人の良い散歩ルートにしましょう。
階段やスロープをつけましょう。
浮き輪や内側への階段設置など最低限の安全策を講じましょう。

そうすれば町は活性化し
都会から見えるここが
より広々と見えて、
憩いに溢れる場所に見えるのではないでしょうか?


財政困難が叫ばれるいま
町が賑わえば
税金も多く収入されますね。
工事もやれるようになるでしょう。

本来、公共事業と町のあり方はそこに基礎があるべきです。
誰のための公共事業なのか?

ここでも、費用対効果に関係のない
無駄遣いを脱してゆけない麻薬的な仕組みが闊歩していて
手遅ればかりの危険な原発事故経過とリンクして見えるのです。








参考リンク

核は大地に刻まれていた
100km離れた位置でも広島原爆投下の爆心から1.6キロの至近距離に相当する被爆があったチェルノブイリ

原発震災にしないために

一例としても
歴史的な毒を撒き散らす原発よりこれのほうが全然ましだ
(こういうコンセプトが浸透すれば工業用エネルギーは十分なものになるでしょう)
エネゴリ君のエネルギーファーム(オプセル社と無関係です)